マセラティギブリの中古車を大阪で探す!

大阪近郊でマセラティのギブリの中古車を探している人にお店の紹介や、マセラティギブリの中古車を選ぶ際の注意点、ポイントなどを書きたいと思います。また、マセラティギブリSQ4等、グレードの違いや、中古ホイールなど、パーツ情報や試乗レポートなども調べてみようと思いますので、宜しくです!

マセラティってどんな車メーカーなん?その歴史1

ギブリを作っているイタリアの車メーカーの
マセラティですが。

 

かなーり歴史の深いメーカーなんです。
今回はちょっとマセラティの歴史を記事にしてみました。


マセラティの企業としてのスタートは1914年

 

 

 

なんとマセラティは高性能なスパークプラグを作っていた

 

マセラティ兄弟が最初にイタリアのボローニャという
ところで、事業を始めたのは1914年。

 

ということは、既に100年以上の歴史のあるメーカーなのですが
もともとこのマセラティ兄弟の中で4男のアルフィエーリは

 

その当時の高級車メーカーのイソッタ・フラスキーニに
所属していたレーシングドライバーだったのですが、彼は
ドライバーとしてだけではなくて、メカニックとしても
優秀で、最初の内はチューニングパーツを製作していたんですね。


その後オリジナルのレーシングカーを作り、レースで好成績を残す

 

 

戦前のマセラティはチューナーから徐々に
オリジナルのレーシングカーを作るようになり、
同じイタリアのアルファロメオ等と競って、好成績を
納めました。

 

しかし、1930年ころになると、ヨーロッパのレースの
世界では高性能を誇ったドイツ車、メルセデスベンツ
アウトウニオンなどに勝てなくなってしまい、
けっこうきつい状況になりました。

 

レースで好成績を収めることができなくなった
マセラティは経営的にも厳しくなってしまい、マセラティ
兄弟は、実業家のオルシ一族に株を売却。

 

経営権をオルシ一族に渡したあと第2次世界大戦を挟んで
その後1950年代後半まで、技術的にも資金的にも
順調になったマセラティは数々の歴史的なレーシングカーを
送り出して、沢山のタイトルを獲得しました。


と思ったのもつかの間、マセラティは経営難からレース撤退

 

ここまでのマセラティは今で言うレーシング
コンストラクターでした。

 

今のイメージの高級GTカーメーカーとしての
発端はレース活動の資金難で
経営が傾いた会社を

 

レーシングカーのノウハウを凝縮した高級ロードカー
を作り、経営を建て直す為にお金が必要だったから

ってことになるわけです。

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1957年にマセラティは一切のレース活動から
撤退しました。

 

それと同時に、マセラティ初と言える高級ロード
モデルである3500GTを発表しました。

 

この3500GTこそ、その後のマセラティ
ブランドイメージを決定づける高級GTで、当時の
超高級車のフェラーリなどと同様、同一のシャーシに

 

様々なボディが架装されているため、いくつもの
ボディデザインがあります。

 

ここから1960年代は、フェラーリランボルギーニ
などと並ぶイタリアの高級スポーツカーメーカーとしての
地位を不動にしていきます。


ところがまたまた経営難に…

 

1960年代には高級GTカーメーカーとして復活して
それなりに経営も安定してきたかにみえたマセラティ
でしたが1970年代に入り、またまた経営難になって
しまいました。

 

当時世界情勢的にはオイルショックがあり、今まで
割と安かった石油の値段が高騰したことにより、
大排気量車はことごとく販売に苦戦するようになりました。

 

それから、環境問題意識の高まりとともに、主に
高級GTカーにとっての最大の市場であった北米で
排気ガスの規制が始まったことによって

 

パフォーマンス的にも後退を余儀なくされ、マセラティ
のような高級スポーツカーメーカーはどこも経営的に
厳しくなって、数々のスポーツカーメーカーが倒産しました。

 

 

マセラティも1970年代は
シトロエンシトロエンも経営難で親会社のプジョー
⇒その後イタリアのデ・トマソグループ傘下になり

なんとか1970年代~1980年代を生きながらえていくのです。

その後の1980年代からのマセラティはまた次の記事に
書きたいと思います。